MOTEMOTEの10周年にあたり読者の皆様、スポンサー各位への感謝の気持ちでいっぱいです。
一方でこの10年間の出来事、世界の変化の激しさに、言葉を失い立ち竦みそうになります。 高度成長やバブル期、世界の将来は明るく、東西冷戦が終われば地球上に戦争がなくなり、 技術の進歩によって人間は移動距離や言語の壁を克服できると信じていました。でも実際はどうでしょうか。 輝かしいはずの21世紀・2001年はアメリカの同時多発テロで始まり、それに続く終わりなき地域紛争、民族・ 宗教対立を招きました。日本では東日本大震災と原発事故によって政治や官僚機構、原発の「絶対安全神話」が 全くあてにならないことを証明しました。そしてまた私たちの前には「コロナ禍」が立ちはだかり、楽しみに していたオリンピックは延期どころか中止の危機に晒されています。私は「WITHコロナ」とか「AFTERコロナ」 などという概念に縛られたくありません。透明な板越しの食事や会話、野球やサッカーの無観客試合、コンサート や映画館で入場者を半分にする、あるいは席を空けて「市松模様」に座るなどまっぴらです。コロナは人類が 全力を挙げて殲滅すべき憎い疫病です。大国が軍事費を増強したり、宗教や人権弾圧をする余力があったら、 コロナの封じ込め、ワクチンや治療薬の開発に全人類の富と叡智を傾けるべきです。 また、コロナで明らかになった日本社会の不合理性、例えば通勤ラッシュ、同調圧力による残業や長時間労働、 ハンコ文化や中高年リーダーによる精神論は社会の生産性を低下させるだけだとわかりました。国のコロナ対策の 制度設計や思い付きのような後手後手の支援策は「頭が良い」ことをはき違えた日本的エリートとそれに乗せられ る政治家がいかに残念な人たちかを教えてくれました。日本の行政機構は国、地方を問わず巨大すぎます。日本社 会が強制力のない自粛を受け入れたことは評価できますが、人間は出口のない自制には耐えられません。また、芸術 やスポーツを「不要不急」とみなすような朴念仁の言葉には共感できません。芸術文化の力を知らない人は権力と金 しか幸福の尺度を持たず、永続しないことは歴史が繰り返し証明しています。 人口減少、超高齢化の日本にあっては、季節の移ろいを愛で、海山の幸に恵まれ、学びがだれにでも均等に開かれ た地域こそ生涯を送るに値する場所なのです。私たちの郷土が美しく、心豊かに守られるよう、これからも微力ながら精進してまいります。
令和2年8月1日
佐賀新聞文化センター社長
中尾 清一郎
MOTEMOTEさが創刊10周年!!